毎日、毎日、縁側に座って、近所の人に
地暖 もらった端切れで、袋を縫って、
前の道を通る人に声をかけてあげていた。
赤い布であろうが黒い布であろうが、縫う糸はみんな同じ白い木綿糸だ。
そんな袋を見て母は、「目をむいたような縫い目やな」と言いながらも、
喜んで一番にもらっていたし、せっせと売り物の生地まで運んでいた。
そんな目をむいたような、恥ずかしいような不細工な袋でもみんな喜んでもらっていた。
やがて、おばあさんの手縫いの袋は、「長寿の縁起の良い袋」と評判になり、
遠方からも、お守りがわりに、ともらいに来ていた。
みんなからもらった布は、やがて縁側から溢れ出すほどになった。
私は、ちかこさんのそばで布をたたんだり、紐を通したりと手伝いながら、
昔の話を、根ほり葉おり、聞くのが楽しみだった。
そんな、みんなから、慕われ愛された「ちかこお婆さん」だったが、
寄る年波には勝てず、93歳で針を持ったまま眠るように亡くなった。
「置かれた場所で見事に咲いた」ちかこさん。
今の時代であれば、たぶんマスコミが取材に来てちょっとした有名人になっていたと思う。
私はと言えば、年をとるごとに、横着で怠け者になってしまって、
置かれた場所 で咲くどころか、咲かないままのただの枯れ木だ。