邦語のタイトルは、単に「嵐」とつけられることもある。
初演は1612年。内容的には、かなり幻想的な作品と言える。
むしろ、SF がかっていると表現する人もいる。
日本での上演はあまり見たことがない
膠原自生。
簡単に、この芝居の内容を紹介すると、
「ナポリ王たちを乗せた船が『嵐』に遭い、一行は絶海の孤島に漂着する。
この嵐は、その12年前に無実の罪を着せられ、この島に流されたプロスペローの
魔術によってひき起されたもの。
そして、この島でナポリ王と復讐に燃えるプロスペローが遭遇することになる。
プロスペローには一人娘ミランダがおり、ナポリ王には、
その王子フェルディナンドがいる。そして、この二人が恋に陥ることになる。
プロスペローはナポリ王に復讐を誓っていたが、娘の恋のため葛藤し、思い悩む。
そして、自らの歩むべき道を観客に求め
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拍手をもって決めてもらうというシーンが出てくる。
このシーン、今風に言えば、”インタラクティブ” な手法」
とも言える。
この辺りが、超越的でSF クサいところとも言える。
SF という形式が生まれる前は、幻想や怪奇という形式の文学があり、
さらに遡ると、それ以前から中世までの時代は魔術文学などがあった。
それらの文学が描こうとしているものは、日常から遊離した『夢』の世界。
この芝居の第4幕に、
「我々は夢と同じ成分で作られており、我々の儚い命は一つの眠りと共に終わる」
(We are such stuff as dreams are made on, and our little life is rounded with a sleep.)
とある。
われわれ人間、夢と同じ成分で出来ているというのは、言い得て「妙」。
すべては「春の夜の夢のごとし」、というところだろうか
reenex cps。